新四国曼荼羅霊場 水=愛情の世界
25番 光巌寺 26番 真観寺 27番 新長谷寺 28番 三福寺 29番 明正寺
30番 萩生寺 31番 王至森寺 32番 極楽寺 33番 清楽寺 34番 妙雲寺
35番 実報寺 36番 梅壇寺 37番 法華寺 38番 満願寺 39番 竹林寺
40番 別宮大山祇神社 41番 光林寺 42番 遍照院 43番 蓮生寺 44番 長楽寺
45番 法寿院 46番 香積寺 47番 理正院 48番 釈名寺 49番 伊予稲荷神社
50番 高昌寺 51番 瀧澤寺 52番 永照寺 53番 善福寺 54番 泰平寺
地=知恵の世界 水=愛情の世界 火=和合の世界 風=創造の世界 空=感喜の世界



37番 法華寺
正式名 補陀洛山 法華寺
別  称 伊予国分尼寺
本  尊 十一面観世音菩薩
開  基 光明皇后
創建年 天平13年
住  所 愛媛県今治市桜井甲243
電話番号 0898-48-0251
URL
納経所 法華寺
札所等 納 経

法華寺は、今から約千二百五十年前の天平十三年(奈良時代)に、聖武天皇と光 明皇后の勅願によって建立された、伊予の国分尼寺(法華滅罪寺)であり、開基は南部の証繭大厄公、 本尊は行基作の十―面観世音菩薩で、光明皇后のお姿を写したと伝えられている。
創立時は、華厳宗東大寺に属していたが、弘仁六年(平安時代)た際に、真言の教えを説かれ.この時より真言宗に改めた。
弘法大師空海が当寺に立ち寄られ、さらに建治元年(鎌倉時代)、後宇多天皇の勅命により、西日本の国分寺、国分尼寺と共に鳥言宗西大寺の末寺となり、現在に至っている。
その間、国内における三度の戦乱(源平の合戦、南北朝の戦い、豊臣秀吉の四国征伐)により、ことごとく焼失してしまい、その為、寛水二年(江戸時代)に今の場所に移転した。
山門 本堂
大師堂 本堂内
旧大師堂 鐘堂

ページのTOPへ

inserted by FC2 system