新四国曼荼羅霊場 水=愛情の世界
25番 光巌寺 26番 真観寺 27番 新長谷寺 28番 三福寺 29番 明正寺
30番 萩生寺 31番 王至森寺 32番 極楽寺 33番 清楽寺 34番 妙雲寺
35番 実報寺 36番 梅壇寺 37番 法華寺 38番 満願寺 39番 竹林寺
40番 別宮大山祇神社 41番 光林寺 42番 遍照院 43番 蓮生寺 44番 長楽寺
45番 法寿院 46番 香積寺 47番 理正院 48番 釈名寺 49番 伊予稲荷神社
50番 高昌寺 51番 瀧澤寺 52番 永照寺 53番 善福寺 54番 泰平寺
地=知恵の世界 水=愛情の世界 火=和合の世界 風=創造の世界 空=感喜の世界



36番 梅壇寺
正式名 世田山 医王院 栴檀寺
別  称 世田薬師
本  尊 薬師如来
開  基 行基菩薩
創建年 伝 : 神亀元年(724年)
住  所 愛媛県西条市楠乙454
電話番号 0898-66-5417
URL http://www.setayakushi.or.jp/index.htm
納経所 梅壇寺
札所等 関連所:梅檀寺奥の院 納 経

西条市と今治市の市境にある世田山(335m)の東麓にある。
通称・世田薬師。
伝承によれば、奈良時代の神亀元年(724年)に行基が四国を巡錫している折に、世田山上に薬師如来の姿を見つけ、栴檀の木にその姿を刻んだという。寺院の名称はこの伝承に由来する。

中世には世田山の山上に世田山城が築かれた。世田山城の名は太平記巻二十二「世田山の合戦」に登場する。南北朝時代の康永元年・興国3年(1342年)新田義貞の甥・大館氏明が城を守っていたが、北朝方の細川頼春に攻められ落城した。また、室町時代に入っても細川氏と河野氏の戦いが世田山城を舞台に繰り広げられた。

昭和2年(1927年)山上にあった大師堂と三宝荒神堂を山麓に移し本坊を構えた。また、山上の本堂を奥の院とした。

夏の土用の丑の日には江戸時代より「きうり加持」が行われている。

世田山は「えひめの自然100選」に選定されており、瀬戸内海国立公園の一部になっている。

中門 本堂
不動堂 本堂内
三宝荒神 本堂

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