新四国曼荼羅霊場 水=愛情の世界
25番 光巌寺 26番 真観寺 27番 新長谷寺 28番 三福寺 29番 明正寺
30番 萩生寺 31番 王至森寺 32番 極楽寺 33番 清楽寺 34番 妙雲寺
35番 実報寺 36番 梅壇寺 37番 法華寺 38番 満願寺 39番 竹林寺
40番 別宮大山祇神社 41番 光林寺 42番 遍照院 43番 蓮生寺 44番 長楽寺
45番 法寿院 46番 香積寺 47番 理正院 48番 釈名寺 49番 伊予稲荷神社
50番 高昌寺 51番 瀧澤寺 52番 永照寺 53番 善福寺 54番 泰平寺
地=知恵の世界 水=愛情の世界 火=和合の世界 風=創造の世界 空=感喜の世界



29番 明正寺
正式名 龍宝山 明正寺
別  称 腹病平癒の寺
本  尊 聖観世音菩薩
開  基 越智玉澄
創建年 神亀5年
住  所 愛媛県新居浜市黒島2-7-70
電話番号 0897-46-3039
URL http://www.nbn.ne.jp/~meishoji/
納経所 明正寺
札所等 納 経

約1300年前、斎明天皇 (皇極天皇と同―、女帝)が海路九州へ行幸の途中同乗していた大海皇子の妃、太田姫が黒島沖で産気ずかれ黒島に上陸し黒島神社に祈願なされ無事女の御子を出産された事が延喜格式に記録されています。それより約60年程後、明正寺の前身である西法寺が土地の豪族越智氏により当黒島の地に建立されました。

 時代は降って江戸時代の初め、寛永20年に皇室より高野山龍光院を通じ西法寺に時の天皇、明正天皇 (徳川2代将軍秀忠の孫、女帝)の病気平癒の祈祷を修するよう命令が下っております。その時より寺名を西法寺より明正寺に改め、寺紋も16菊と五七の桐になっております。なぜ明正寺にそのような命令が下ったのか、文化5年の大火で寺の古文書のほとんどを焼失し詳細は判然としません。火災の時、寺の宝物の―部と共に明正天皇の尊儀 (位牌、高さ80センチ)とその御厨子が無事持ち出され、現在ご本尊と共に奉安致しております。火災を免れた寺宝の内10点が市や県指定の文化財になっております。又多喜浜塩田の初代開祖である、深尾権太輔翁の墓もあり塩田の開発に寺も深く関わってきたと伝えられております。

山門 本堂
薬師如来堂 本堂内
薬師如来堂内 境内(明正寺桜)

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