新四国曼荼羅霊場 水=愛情の世界
25番 光巌寺 26番 真観寺 27番 新長谷寺 28番 三福寺 29番 明正寺
30番 萩生寺 31番 王至森寺 32番 極楽寺 33番 清楽寺 34番 妙雲寺
35番 実報寺 36番 梅壇寺 37番 法華寺 38番 満願寺 39番 竹林寺
40番 別宮大山祇神社 41番 光林寺 42番 遍照院 43番 蓮生寺 44番 長楽寺
45番 法寿院 46番 香積寺 47番 理正院 48番 釈名寺 49番 伊予稲荷神社
50番 高昌寺 51番 瀧澤寺 52番 永照寺 53番 善福寺 54番 泰平寺
地=知恵の世界 水=愛情の世界 火=和合の世界 風=創造の世界 空=感喜の世界



26番 真観寺
正式名 豊岡山 真観寺
別  称 夫婦円満家庭円満の徳
本  尊 聖観世音苦薩
開  基 行基菩薩
創建年 白鳳年中
住  所 愛媛県四国中央市富郷町寒川山207
電話番号 896-22-0002
URL
納経所  真観寺
札所等 納 経

伊予三島の起こりは、その昔、越智玉澄が国同として下向したとき、大三島より大山祇神社を勧請したことに依る。
燵灘に面して開けた都ではあるが、背後を塞ぐ法皇山の向こう側に秘境の富郷渓谷がある。
真観寺はその一隅にあり、僻邑に平家落人の伝説がある。
寺域はそれほど広くないが、縁起は頗る古いものを伝えていた。伊予三島市に譲る。
口碑に白鳳時代(650年以後)僧行基諸国遊歴の途次、霊夢により創建したという。
その後、宝徳三年(1451)法尊律師の代、本之庄竹林寺焼欠に伴い真観寺に合寺。
当時、本之庄は土佐街道の宿場町として栄え、一説に、僧行基がここを通って高知へ向かったと仏えられている。
不運は寛政八年に焼失。明治十八年には暴風雨で諸堂倒壊。つづいて近年に皇山が崩壊して本坊を殿した。この不幸にもめげず、その都度復興に努めたという。例えば、昭和六年の石垣改修には、檀た徒1200名が奉仕したとある。
石標 本堂
全景 本堂内
参道 納経所

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