新四国曼荼羅霊場 水=愛情の世界 | ||||
25番 光巌寺 | 26番 真観寺 | 27番 新長谷寺 | 28番 三福寺 | 29番 明正寺 |
30番 萩生寺 | 31番 王至森寺 | 32番 極楽寺 | 33番 清楽寺 | 34番 妙雲寺 |
35番 実報寺 | 36番 梅壇寺 | 37番 法華寺 | 38番 満願寺 | 39番 竹林寺 |
40番 別宮大山祇神社 | 41番 光林寺 | 42番 遍照院 | 43番 蓮生寺 | 44番 長楽寺 |
45番 法寿院 | 46番 香積寺 | 47番 理正院 | 48番 釈名寺 | 49番 伊予稲荷神社 |
50番 高昌寺 | 51番 瀧澤寺 | 52番 永照寺 | 53番 善福寺 | 54番 泰平寺 |
地=知恵の世界 | 水=愛情の世界 | 火=和合の世界 | 風=創造の世界 | 空=感喜の世界 |
25番 光巌寺 | ||
正式名 | 大悲山 光巌寺 | |
別 称 | 子安観音 | |
本 尊 | 十一面観世音菩薩 | |
開 基 | 弘義上人 | |
再 建 | 天明三年(1782年) | |
住 所 | 愛媛県四国中央市金生町山田井425 | |
電話番号 | 0896-56-3586 | |
URL | ||
納経所 | 光巌寺 | |
札所等 | 納 経 |
燧灘に面した川之江市の立地は、余生川の沖積平野が発達した所である。 奈良時代、既に都から伊予同府に通じる太政官道が敷かれ、宿駅が設けられてあった。 一方、ここを起点に阿波、土佐へ至ったことから江戸期は天領となり、代官所の支配下にあった。この為、中央との文化交流は盛んで、光厳寺の誕生仏にその跡をみる。 昔は、これより約二丁ほど奥の寺ノ谷に在り、長福寺と称し ていた。現在地へ移転したのは定でないが、説に長宗我部氏の兵火に遭ってからだという。 寺史に初見するのは宝暦九年(1759)に遷化した宝厳上人を初代とする。恐らく、中興開山だと思われるが、時代の変遷にあって古記録を失ったのが惜し まれる。 境内は山門から奥に、このほど見事な御堂が再建された。 本尊に十一面観音を安置。嚇灼とした信仰が窺える。 特筆は、平家の武者・土釜十郎を祭る祠である。春の祭典には賑わうという。 |
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山門 | 本堂 | |||
護摩堂 | 庭園 | |||
護摩堂内 | 全景 | |||